ぶらっと京都歩き

フォトライターが京都・滋賀の街並み、史跡を歩いたことを綴ったブログです。


幕末の余韻に浸りながら酒処伏見を歩く~坂本龍馬遭難の跡を歩く

 江戸時代に京都と大阪を結んだ十石舟や三十石船の京都終着点は伏見港です。

 伏見港近くには船宿がたくさんあったそうで、寺田屋もその一軒です。

幕末、寺田屋で大きな事件が二つ発生しました。

一つは薩摩藩尊皇派が島津久光命により粛清された「寺田屋騒動」(1862年)。

そしてあと一つが薩長同盟締結を斡旋した坂本龍馬が伏見奉行所捕り方に襲撃された「坂本龍馬襲撃事件」(1866年)です。

今回、僕は坂本龍馬が襲撃からどのような道程で逃げ延びたか、その軌跡を辿りました。

 

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 寺田屋の建物は幕末の鳥羽伏見の戦いで焼失。現在の建物は当時の西隣に再建されたものです。レプリカなんですね。

 

寺田屋の横にある庭には坂本龍馬の像が設置されています。

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 ボランティアのご老人が寺田屋坂本龍馬について観光客に説明をしていました。

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 豪川。川の向こうに伏見薩摩藩邸がありました。伏見奉行の捕り方に追われた龍馬はこの川伝いに薩摩藩邸に向かいました。

寺田屋から薩摩藩邸まで約1.5キロ。

途中、材木屋に潜伏。薩摩藩士が舟で救助に来るのを待ちました。

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 大手筋通りに架かる橋の片隅に龍馬が隠れた材木屋がありました。

今は材木屋はなく、石碑が建てられています。

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 現在、松山酒造(株)がある敷地がかつて薩摩藩邸があった場所です。

石碑には「坂本龍馬寺田屋脱出後避難の地」と彫られています。

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 寺田屋近くの伏見港跡には「龍馬とお龍、愛の旅路」像があります。

寺田屋遭難で傷ついた傷を癒すため、ここから薩摩へ旅立ちました。これが日本の新婚旅行の始まりと言われています。

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